ガダルカナル島における慰霊碑の現状について

■ガダルカナル島における慰霊碑の現状について

 

 先の大戦における戦局の転換点とされるガダルカナル島(以下ガ島)を巡る戦いでは、約半年の攻防戦に投入された陸兵3万余のうち2万2千あまりが戦死し、また補給の困難からこの島がガ島転じて「餓島」すなわち飢餓の島と呼ばれたことは良く知られています。激戦地として有名ながら、しかしガ島には政府建立の慰霊碑がありません。これは、原則「一戦域一慰霊碑」とし、南東方面(戦争当時の海軍の呼称)ではラバウルに公的慰霊碑を建立するという日本政府の方針によります。公式な慰霊碑がなかったガ島に相応しい慰霊の場をつくるため、財団法人南太平洋戦没者慰霊協会(現太平洋戦争戦没者慰霊協会)は政府厚生省(当時)の側面支援を受けながら、各方面からの浄財により昭和55年(1980年)10月に激戦地アウステン山中腹に慰霊碑を建立し、ソロモン平和慰霊公苑を整備しました。以来、同慰霊公苑はガ島における代表的慰霊の地となり、遺骨収集の際の焼骨式、慰霊巡拝などでの慰霊祭の舞台となってきました。

 

 この他、ガ島には全国ソロモン会慰霊碑(コカンボナ)、第二師団勇会建立の慰霊碑(ムカデ高地と島西北端のタンベア)、福岡ホニアラ会建立の百二十四聯隊慰霊碑(ムカデ高地→ホニアラ市内)、一木支隊鎮魂碑(テナル教会)、「岡部隊奮戦の地」碑(ギフ高地:元は「稲垣大隊奮戦の地」の木柱として建立)、「一木支隊奮戦の地」碑(イル川河口)など民間の慰霊碑が数多く建立されていますが、中には管理が行き届かず草に埋もれてしまったり塗料が剥げてしまったりしているものもあり、特に福岡ホニアラ会の慰霊碑は当初建立されたムカデ高地で二度にわたって慰霊碑の一部の石球が盗難に遭ったため、管理するために首都のホニアラ市内への移転を余儀なくされた経緯があります。

 

 ガダルカナル島(ガ島)を代表する慰霊碑は財団法人南太平洋戦没者慰霊協会(当時)の建立によるもの。アウステン山中腹に立つ同慰霊碑には日本語と英語による碑文が刻まれた銘板が埋め込まれていた。

 

 ソロモン平和慰霊公苑慰霊碑の銘板は金属価格高騰により盗難に遭い、その後発見されたも のの、慰霊碑に戻されることなく今も外されたまま。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このように、ガ島の慰霊碑はその全てが民間建立ということもあり、比較的早い時期から管理上の問題が生じています。厳しい状況に輪を掛けたのが、ソロモン諸島の政治的混乱と、それに続く内乱状態でした。元々国家意識が発達しておらず、民衆の間では「ワントク」と呼ばれる部族単位の共同体が国家的統一より優先されていた社会で、ガ島に多くの移住者を定着させていたマライタ島出身者とガ島の元々の住民との間で対立が起こり、政治的混乱を機に2000年(平成12年)にガ島、マライタ島双方の民兵団同士による内乱状態に陥りました。この間、日本からガ島への渡航ができなかったこともあり、荒廃した慰霊碑が少なくありません。

 

 アウステン山の平和慰霊公苑に立つ、石巻市出身でガ島戦中の昭和17年11月2日戦死した彫刻家高橋英吉による「潮音」像。碑文プレートと同様に盗難に遭ったが運びきれず、公園近くに遺棄されたところを発見され、現在首都ホニアラ市内で保管中。

 

 今は台座のみが残り、「潮音」像が戻され修復される日を待ち続けてている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 また、もう一つ慰霊碑の荒廃に拍車を掛けたのが2008年(平成20年)の北京オリンピックを頂点とした金属価格の高騰です。オリンピック前の時期、鉄屑や銅地金の価格が高騰し、外国の業者が金属製品を高額で買い取るようになったため、日ごろ現金収入の機会に乏しいソロモンの住民の一部は、目に入る金属類を手当たり次第に回収して売りに出しました。この時に、碑文が刻まれた慰霊碑の銘板なども盗まれるケースが多く、ガ島を代表するアウステン山の慰霊碑と、同じ平和慰霊公苑内にあった、石巻市寄贈の「潮音」像が相次いで盗難に遭いました。幸い、慰霊碑の銘板と「潮音」像は後に回収されましたが、今も元の場所に戻されていません。

 

 ガ島コカンボナの碑(三角碑)は、厳密には日本人が建立したものではなく、ソロモン諸島防衛軍の退役軍人が日本兵顕彰のために建てたもの。もっとも、その後、日本の戦友会が整備を行っているので今はもう日本が管理する民間人建立慰霊碑と言えるかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 このような、憂うべき状況に危機感を抱いた有志は慰霊碑保全の費用捻出のため戦史検定事業を立ち上げ、検定費収入を慰霊碑の維持管理と補修に充てることとしています。昨平成22年11月に実施した第1回戦史検定では、事業収入10万円をソロモン平和慰霊公苑の慰霊碑と周辺の整備のため、財団法人太平洋戦争戦没者慰霊協会に寄贈しました。

 

 ガ島西部ヴィル村の私設戦争博物館(Vilu Village)敷地内に建立された慰霊碑の平成8年(1996年)の姿。左側慰霊碑には「平成魂」の文字や建立者の名前が読み取れ、二つの慰霊碑の間には「ガ島会」の寄贈した鐘が吊られている。

 

 上の写真から約8年後、ソロモン諸島国の内乱を経たヴィル村戦争博物館慰霊碑。すべて銘板がはがされ、ガ島会の鐘と左側慰霊碑の横にあった観音像も持ち去られてしまっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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