去る十二月八未明、第六回戦史検定合否を通知いたしました。(12月中旬になっても合否通知がお手許に届かない方はお問い合わせください)
過日は大正大学のキャンパスの一隅をお借りして開催致しました「第六回戦史検定」に多くの皆様のご参加をいただき、誠に有難うございました。一年に一回の本検定を心待ちになされている全国の有志の方々の御蔭もございまして、本年も無事滞りなく終了することができました。
今回も受検者層の拡大が進み、十代それも小学生から中学生、北海道から沖縄にまで受検者が広がりましたことは、大変喜ばしく感じて居ります。検定事業の趣旨に賛同いただいた方々が増えて参りましたことに改めて心より感謝申し上げる次第であります。
【 注 意 事 項 】
1)取得点数の開示は致しませんので予めご了承下さい。
2)合格者には「合格証」とカードサイズの「認定証」をお送り致します。
3)合格者の皆さまには、取得点数の目安として「クラス」が記載してあります。
4)不合格者の皆さまには、「敢闘賞」(結果通知書)をお送り致します。
5)検定合格者には特典がございます。ご利用の際には認定カードを各施設にてご提示下さい。(認定カードに有効期限はありませんが、特典は変わる場合がございますので随時、戦史検定ホームページ等でご確認下さい)
6) 本受検結果を発信しました74年前の昭和16年12月8日は、言わずと知れた大東亜戦争の開戦となった当日でございます。真珠湾、マレー半島を始めとした戦線にて果敢な戦いが始まりました感慨深い日でございます。
問題作成部長による難問解説
受検者の皆様、当日は受検していただき誠に有難うございました。
今回の検定にも、初級、中上級共に正解率が低くなった「難問」がありました。今回の難問を作成した理由は、巷間の通説となっているものの中に、事実が誤って拡散したものがあることを、皆様に知っていただきたいと考えたからです。その意味において、事後解説を行うことにいたしました。
【初級】
初級における「問37」は、正答率21%でした。
これは、上陸部隊指揮官スミス海兵中将が進撃速度の遅れの原因を、部下の歩兵師団長スミス陸軍少将の戦意不足によるものとして解任した、「スミス対スミス」事件が発生したのはどの戦場かを問いました。正解はサイパンの戦いでした。なお、誤答のトップは、第1海兵師団長のリュパータス海兵少将が師団長を解任された「ペリリューの戦い」の35%でした。こちらは、日本軍の勇戦奮闘で有名なので、これを答とした気持ちも判ります。
さて、話を戻します。サイパンの戦いは従来の「水際撃退(撃滅)」戦術への固執と準備不足のため、早々と玉砕した、といわれています。しかし、相手の米軍でもこのような混乱があり、それは、斉藤義次中将率いる第四三師団等、在島日本陸海軍部隊の頑強な抵抗があったからこそ発生した混乱であることを認識していただきたいと思います。
【中上級】
「問51」~「問54」はミッドウェー作戦に至る経緯であります。
ハリウッド映画「ミッドウェー」をはじめとして、多くの戦争映画では「昭和17年4月18日に起きた『ドウリットル空襲』が、『ミッドウェー作戦』の端緒となった」と描かれており、通説となっています。
確かに、陸軍はそうでした。しかし海軍では、昭和17年春の第2段作戦策定時に、軍令部と聯合艦隊との間に論争があり、「ドウリットル空襲」以前に「ミッドウェー作戦」は決定されていました。
その経緯は、当協会推薦図書の野村實著『海戦史に学ぶ』(祥伝社新書、2014年)にあるように、同年4月5日永野軍令部総長が「ミッドウェー作戦」を承認します。そして、これを含む「第二段作戦海軍作戦計画」が4月15日に策定されます。更に18日の空襲で、太平洋方面の防衛策の必要性を痛感した大本営陸軍部が、ミッドウェー攻略部隊を参加させる決定をするのが4月20日です。
ということで、正答率は、問51(4月5日):4%、問52(4月15日):23%、問53(4月18日):52%、問54(4月20日):25%でした。今回の解答分析結果をみると、この4問の解答の組合せで「ドウリットル空襲→永野総長承認」の流れによる解答された方が70%ありました。戦史を普及する立場の者として、考えさせられました。
4問とも正解された方はありませんでしたが、「永野総長承認→ドウリットル空襲」の流れで、ドウリットル空襲を4月18日と解答された方は67名中2名でした。
皆様の次回の健闘をお祈りいたします。