初級例題(テキスト版)

■初級例題

【第1問】
ハワイ真珠湾に停泊中の米艦隊を航空機で攻撃することを発想したとされる、日米開戦時の聯合艦隊司令長官は誰か。

(甲)南雲忠一

(乙)米内光政

(丙)山本五十六

(丁)東條英機

(戊)東郷平八郎

【第2問】
戦争画家・宮本三郎は、陸軍戦争記録画で数々の名場面を描いていた。そのうちのひとつに、シンガポール攻略戦の終結をめぐる日英両軍指揮官の会見場面があるが、そこに描かれている両軍の司令官の組合せとして正しいものを選べ。

(甲)山下奉文・ウェンライト

(乙)今村均・パーシバル

(丙)本間雅晴・ウェンライト

(丁)本間雅晴・パーシバル

(戊)山下奉文・パーシバル

【第3問】
昭和17年6月、日本海軍機動部隊が空母4隻を喪失する大敗を喫し、戦局の分岐点となったのは、次のうちどの地点をめぐる戦いであったか。

(甲)ガダルカナル島

(乙)ミッドウェー島

(丙)ウェーク島

(丁)アッツ島

(戊)ポートモレスビー

【第4問】
昭和19年3月より開始されたインパール作戦では、補給が途絶し、退却していく日本軍将兵たちが飢えと病で次々と倒れた。この退却路は俗に〔   〕街道と呼ばれた。〔   〕に当てはまる語句を選べ。

(甲)飢餓

(乙)転進

(丙)墓場

(丁)撤収

(戊)白骨

【第5問】
マリアナ諸島失陥により、その後の日本側にどのような影響があったか、次から正しいものを選べ。

(甲)ガダルカナル島への補給が困難になった

(乙)マーシャル諸島から撤退せざるを得なくなった

(丙)アリューシャン列島から撤退せざるを得なくなった

(丁)日本本土が爆撃されるようになった

(戊)インパール作戦を中止せざるを得なくなった

【第6問】
事前に米軍が硫黄島方面に進攻する事を察知していた日本軍は、2万余の部隊を配備した。この硫黄島守備隊の指揮官は誰か。

(甲)中川州男

(乙)安達二十三

(丙)栗林忠道

(丁)山崎保代

(戊)牛島満

【第7問】
敷島隊をはじめとする神風特別攻撃隊が初めて出撃した戦いは、次のうちどれか。

(甲)真珠湾攻撃

(乙)南太平洋海戦

(丙)マリアナ沖海戦

(丁)フィリピン沖海戦

(戊)沖縄戦

【第8問】
史上最大の海戦といわれたフィリピン沖海戦は、昭和19年10月、米軍がフィリピンの〔   〕に上陸したことがきっかけで起こった。〔   〕内に当てはまるものは次のうちどれか。

(甲)レイテ島

(乙)テニアン島

(丙)サボ島

(丁)アンガウル島

(戊)ルソン島

【第9問】
昭和20年4月1日に米軍が沖縄に上陸して以降、日本軍守備隊は首里地区で戦闘していたが南端へと後退していった。第三十二軍司令官・牛島満中将が自決し、沖縄戦の組織的戦闘が終わったとされる日は次のうちどれか。

(甲)4月23日

(乙)5月23日

(丙)6月23日

(丁)7月23日

(戊)8月23日

【第10問】
昭和20年8月18日、千島列島に所在した日本軍守備隊は、突然のソ連軍の上陸により、戦闘状態に入った。守備隊はソ連軍に甚大な損害を与えたが、この戦闘が行われた島は次のうちどれか。

(甲)択捉島

(乙)占守島

(丙)礼文島

(丁)国後島

(戊)歯舞島



    1. 正解は、問1(丙) 問2(戊) 問3(乙) 問4(戊) 問5(丁) 問6(丙) 問7(丁) 問8(甲) 問9(丙) 問10(乙)

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